抱え込まないこと

最近、毎週のように介護 福祉相談が入る。

これから介護の現実と向き合う方

介護真っ最中の方

長年介護してきて、限界に達した方


これから介護に入る方 は、

薄々は気づいていたけれど、見ないようにしてきた現実に向き合わざるを得ない今、

家族の変化への衝撃と悲しみと不安

向き合わずに居た自分を認めもっと早くことを起こせばよかったという後悔


その気持ち とても良くわかる。

プロの介護職だって自分の親に関しては冷静には慣れない。

気のせいかも・・・ たまたまかも・・・ まだ大丈夫・・・ ?

と、どこかで警鐘はなっているのに気づいているのだけど、空耳 ということにしておきたいし、

自分の家族になると、感情的にもなるし、冷静な判断が出来なくもなる。 

だから、介護は1人でやるものじゃない。 家族だけで抱え込むものでもない。


介護真っ最中の方も 

思いがけない状況の変化に衝撃をうける。

穏やかな暮らしが続いていたはずなのに (そう願いたい 祈りのようなもの)

想像しなかった言動に衝撃をうけ、

ある人は現実を噛み締め、 ある人はパニックになる。

介護は、現実に向き合わざるを得ない。

今までの様々な関係性が表面化する。 そこと向き合えるかどうか。

自分 が突き付けられる時、

自分と向き合えるのか?  それはとてもしんどいことで、それには周りの助けがいる。


私は夫が母親の介護をしている中で、一番気にしているのは義母よりも夫のこと。

長年やってきているプロでさえ、身内の介護では客観的になることは難しい。

全てを自分で抱え込もうとする。

1つ1つは、難しいことではなく出来ることなのだけど、それが生活の中に少しずつ増えてきて、少しずつ時間は長くなり、少しずつ頭を占める割合が大きくなり、いつしか、介護を主軸に自分の生活、人生まで方向づけてしまう。

そして気づけば自分で作ったシステムに 自分ががんじがらめになり、身動きがとれなくなっていき、自分で作ったのに、まるでそれを要求されたかのごとく、苦悩に浸る。

それはまるで蜘蛛の糸。

それが見えているから、

あなたがやらなければダメなのか?他に方法はないのか?

常に問いかけ、その蜘蛛の糸をはずしていく。


そして一番哀しくなるのは

長年の介護で限界に達した人

それは、蜘蛛の糸で自分と相手を繭のように包み込み、誰にも触れない状況で頑張り

いつしか呼吸困難になっている。

その状態で相談に来られても、

もう打つ手がない。

限界に達したストレスは、思考を止めている。

話しをしても、入っていかない。

繭に包み込まれて介護されていた人は、その状態は決して心地よいわけではないのに、

もう外の空気に触れることが難しくなっている。

両者が息苦しい空間で悲鳴をあげている。

若い方であればそこからの仕切り直しが可能だったりするけれど、

高齢者には仕切り直しが出来る可能性は非常に低い。


これから介護がはじまるのであろう人に

一番大切なことを伝える。

それは、

「今までの自分の暮らし、築いてきたものを続けてください。大事にしてください。」

ということ。

仕事を変える とか そこまで思う人もいる。

相手を中心に自分の生活を変化させようとする。

変化してもよい部分と、させてはダメな自分の生きる本質的部分があるはず。

それをどう守りながら、介護をやっていくのか?

そこを一緒に考えるのが、 相談者の役割。


介護をしたいと思う相手は、大切にしたい人。

その人は、同じように、介護者を大切にしたい。


だから、自分の軸をずらさない。






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