恩師

大学のゼミの教授が、大学総長のサポートを終えて8年ぶりに教育活動に戻るって連絡が来た。

私は社会学部で 「疎外された教育、マイノリティーの教育」 というテーマを掲げたゼミに在籍して、不登校の子どもたちのためのフリースクール とか、 識字学級 夜間中学 

教育困難校 障碍児の学校 などなど、一般的な太いレールに乗れない子供たちの教育をテーマに研究していた。 

なんでマイノリティー(社会的少数者)に興味があったのかというと、

多分、自分がそうだったからだろうなあ(;'∀') 今思えば。その時は無自覚だったけど。


小学校は好きじゃなかった。

(でも、ちゃんと好きなフリはしていた)

運動会とか遠足とか修学旅行とか、全然ときめかなかった。

好きだったのは、図書の時間。好きな本読んでいればよいっていう最高の時間!

まず、同年代の女子が苦手だった。苦手じゃなかったのは幼馴染の男の子だけ。

学校が楽しいってふりをするのが、当たり前のことなんだって思っていた。


中学は2学期からロンドンの日本人学校へ行った。

もしもそのまま日本の中学に行ってたら・・・しんどかったろうなあ・・・・


まず、部活ってものの意味がよくわからなかった。

1学期だけ通った公立中学校ではテニス部に入ってまじめに活動したのだけれど、

まず1年生は1学期はずっとボール拾いとひたすらランニング。

これが青春なんだ と自分に暗示をかけて頑張ったけど

なんでボール拾いからスタートなのか?とか なんで先輩ってだけでそんなにえばるのか とかもう謎でしかなかった。

学校の校則も、なんで前髪は眉毛の上に切らなければいけないのか もうその

不都合さが全くわからず、みんななんでそんなことを当たり前に真面目にやってるのかが

おかしくないのかなあって思ったけど、口には出さないようにしていた。

だってさ、いい大人がさ、真剣に子供の前髪の長さを確認してるって滑稽じゃない?

前髪の長さで良い大人になれるんだったら楽なもんだ((笑)


ロンドンの中学校は、目からうろこに楽しかった。はじめて学校が楽しいって思った。

仲良くなった子は現地校でずっと育った子で、今でも仲良しだけど ファンキーだった。

すごくまじめに

「ねえ なんでこんなに重たい教科書を毎日持って帰る必要があるの?ロッカーがあるのに!!」 といって こっそり花壇に教科書埋めてた。


前の学校では、女の子ってすぐ後ろで人の悪口言ってたけど、その子はストレートに

「いやなことがあるなら言って。言われなきゃわからない」ってはっきりと宣言し、

ストレートに話し合った。


そんな楽しい中学生活が終わり、帰国してみたら、私の友達はみーんな日本の学校でいじめられた。びっくりするくらい! 法則があって、共学の子はいじめられてなくて、

女子校はひどかった。


私は女子校に行ったんだけど、そこでは とにかく同じ土俵になることを避けた。


論外 になれば マウントをとられることも、いじめられることもないわけで。


沢山人数がいる部活は避けて、少なくて、上下関係が薄い部活に入ってそれなりに楽しい部活動ってものも体験できた。


でもどこかでずっと 自分は一般的な女子が本当に苦手なんだと気づいていたし、

その輪には極力入らないように気を付けているのもどこかでわかっていた。


だから社会的少数者の教育っていうテーマに惹かれたんだと思う。


案の定、そのゼミでも、最初は思いっきり浮いてたらしい((笑))

ゼミは意見を自由に言えるためにあるものだと理解していたため、先輩の発言にも全然臆さず自分の意見を言うもんだから、ドン引きされたらしい(;'∀')


先輩が気を使ってくれたおかげで、日本人がどうやって意見を言い合うのか なんとなくわかった。凄い特殊技術だと思う。

だよねえ わかるわかる って言いながら、話をやんわりまとめて方向性をなんとなく出して気づけばあるところで、ちゃんとまとめてくるわけで。

ものすっごくまどろっこしいんだけど、どうやら その意見をまとめる過程に意味があるらしいってことも なんとなく学んだ。

本当に、あのゼミがなければ、私は社会人としてかなり厳しいスタートをきったんだろうなって思う。


そんな私にとって大切な出発点だったゼミの教授から連絡がきたもので、私の子育てについてちらっとふれてみた。

娘が小学校高学年になって、友達関係に悩んでいた時に 

「自分が付き合いたいって思う人にわかってもらえればそれでいいんじゃない?

だってみんなにわかってもらおうなんて はなから無理なんだよ。 大体ね、

あの歌がやばい。 1年生になった~ら 友達100人できるっかな なんてね

あの歌、呪いだよ呪い。 100人も友達なんて出来るわけないじゃん。 知り合いは出来るかもしれないけど、友達じゃないよねえ~!」

って言ったら

「あのね、私 ママみたいに変人として生きていく気はないの!」 って宣言されて

でも、最近 娘が

「変人枠て生きるって いいよね~」って言ってきた。


その話をゼミの教授にしたら

「変人枠で生きるって すごく素敵な表現。これから使わせて頂きます。

そういう人が1人でも日本に増えていってほしい。そんな言葉を紡ぎ出すって

良い親子だね」

ってメールが返ってきた。


ずっとずっと気づいていなかったけど

私が大好きだった教授は 実は変人だったんだなあって 気づいた。


私は目標とする大人の人だったんだけど、

まず その目標が 変人だったんだ!!!


卒業して 24年たって やっと気づいた。


でもさ 考えてみると そんな教授がずっと総長の右腕やってたわけで

世の中 意外にそんなもんかもしれないね。


こんな私を暖かく受け止めてくれているshizukuのメンバーさん

本当にありがとう♡




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