自分に戻る時間

1年に1度のピアノの調律の日

子どもの頃からそうだけど、

調律師さんが来て、ピアノをパカって開けて 丁寧に埃を払い、音を調整していく。

このプロセスはなんだかワクワクする時間だった。

調律し終わった後のピアノは、やっぱり良い^^


最近、毎日少しずつ ピアノを弾いている。


幼稚園からはじめて、小学生の頃は、音コンに出てるようなピアノ少女だった。


今思えば、私の小学生時代は、決して楽ちんな環境ではなかった。


私が5歳の頃、7歳の姉が小児癌で亡くなった。


1年に及ぶ闘病生活に、第一子の病死は、両親にとってはとてつもない衝撃だったろうと、

そして、姉を失った妹である私も、相当の喪失感だったろうと、出産して同じ2歳違いの姉弟を育ててみて実感した。


そんなわけで、私が小学生の時期は、まだまだ立ち直れない家族 だった頃なのだ。


きっと独特であったろう家族の雰囲気も、自身の喪失感も、

ピアノを弾いている時間はそこから離れて、私の世界 に入れたのだと思う。


ピアノは瞑想によく似ていて、

弾いている時、音の響きに集中し、音と一体感を感じられているか?

それとも

ピアノを弾いているのにずっと違うことを考えているか?


私の精神状態が露呈する。


ふと気づくと、手は機械的に動いているだけで、全然違うことを考えていたりする。

その時は、地に足ついていない時 心がここにない時 自分を感じられていない時

と気付く。


楽しくて、ピアノをいくらでも弾きたいと思える時は、調子が良い時。


自分を感じる時間 自分に戻れる時間


それをどうやって持てるかが、自分の状態 ストレスとの向き合い方に大きく影響すると思う。


人生とは、自分という素材 素質を どう感じ、表現し、楽しみ、活かしきるか

ではないかと思う。


だから人それぞれ、全く違うものを与えられているのだろうな





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