体の言葉

人の体って 凄いなあって思う
私にとってみれば 
1つの宇宙
そこに触れられるこのお仕事は、とても好きです。

私が人の体に触れるようになったのは
15歳の夏休み 
近所の重度心身障がい者のデイサービスにボランティアに行ったのが最初です。

細くて冷えた足をさすること
曲がった背骨でちゃんと座れない方を一緒に座って後ろから支えること

冷たい足は マッサージをすると ほんの少し 生き生きすること
言葉がなくても、周りの雰囲気に合わせて体の熱量が変わること 
そしてそれは、言葉じゃなくても コミュニケーションだということ

帰国子女で女子高生だった私は 
周りが発する言葉 に対してとても微妙な感情を抱いていました。

とても細やかだけれど、身体のコミュニケーションは真実に満ちていて
私はとても癒させました。

触れる行為は
介助へと発展し、
介助は生きることをまざまざと映し出す行為で、
それは沢山のことを私に教えてくれました。

掛け替えのないことを教えてくれたこの場所を一生の仕事にしよう 

と思ったのは20歳頃。

言葉以上のものを伝えられる
介助は最高のコミュニケーション

そこでの仕事は 今でも私の宝物です。

体を壊して もう 一生介助の仕事は無理だよなあ という状況に陥り
仕事どころか、私がもう一度健康を取り戻せるのか というところからの
再スタート

そして今はまた
違った形ですが、人の体に触れる仕事をしています。

重度の障がいを持つ人は
自分で感じていること 考えていることを言葉として上手に表現できません。
だから、触れるんです 触れると身体に溢れる感情が伝わってきます。

最近思うのは、
障がいを持っていなくても、思いを言葉で表現できていないのではないか? ということ。
つまり、殆どの人は 自分を言葉で表現するのはとても難しい と言うこと。
言葉に出来ない ということは 思考として意識 自覚出来ていない と言うこと。

先日、プライベートで6年越しに見ているクライアントさんがいらっしゃいました。
コロナ自粛で2ヶ月間が空いて。

触れてみれば 本人の言葉とは裏腹に
喉と胸に ふんわりと 哀しみ がありました。
彼女と一緒に その哀しみ を探します。

「気付いていなかったけれど 考えていなかったけれど
生徒に会えないって ちょっと哀しいよね (その方は先生です)
オンラインって 真っ暗闇に向かって講義している感じで、
チャットでくるメッセージ見ながら進めるんだけど
キツイよねえ
もし、受講生に、今後会えることがあったら
抱きしめたい
あなただったの〜!?って」

そして、ニコオオオって笑った彼女は
コロナ前の彼女でした。

体は沢山のことを教えてくれます。

単純に、筋骨格系の 身体の個性としての使い癖 とか 使い過ぎ っていうのもあるし、
感情や思いを溜めてくれている場所もあったりもして。

言葉よりも ずっと素直に。

今、このボディーワーク を 花みずきの一階に来てくださっている方々に
空いた時間でやって行こうかなって思っています。

コロナで私も
覚悟が出来ました🍀






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