私にとっての 奇跡
私は15歳から 添付した映画の施設でボランティアをして、
ご両親が高齢化し、本人の入所施設に入りたくないという強い意志を持った方々の
地域生活の先駆けとなるグループホームでアルバイトから職員となり働いてきた。
グループホームの現場常勤は私1人 他は非常勤スタッフ3名に学生のバイトスタッフ。
「いつ亡くなってもおかしくない薬を飲んでるから」と引継ぎをうけて勤務スタート。
(体の緊張や発作を止めるには、かなり強い薬が必要で、そこには突然死のリスクが付き纏う)
働く中で、母親たちの強さ を ずっと 目の当たりにしてきた。
世間から無理解の目 差別 偏見
悔しい思いを山ほどしてきている。
世間には、親戚 や 病院だって入る。
通院への付き添いはよくあった
悔し泣きする母親とその母親の感情を理解し、車いすの上で身を震わせる息子をみて
自分の無力さを痛感した。
あまりに重度の方の在宅介護って、そもそも理解されないことが殆ど。
世間は、その人は生きている意味がない と 位置付けるからなのかなと 最近思う。
全て人に介護してもらって生きるなんて 不幸だと。
15歳の私は、重度の障碍を持った彼らが発する ストレートな生命に衝撃を受けた。
どんな人も生きる権利があるから という人権的な話ではなくて、
こんなに命を生き切ってる人達はいない。
そう思った。
そして私は 彼らからものすごく大切なことを 教えてもらった。
最近、重度な方が
「入院しない」 という方針を伝える現場に立ち会った。
その誤解を恐れずストレートに表現するならば、
「頭大丈夫なのか?」的な表情と返答
そうそう これ 何度も味わってきた
伝えらえれない 伝わらない もどかしさと 悔しさ。
覚悟を決めたご家族は 強い。
著しい回復の見込みはない。
だったら 一緒にいたい。
孤独に 1人で生きさせるよりも少しでも一緒に時を過ごしたい。
これは 生きることの選択
長生きするために生きるのではない。 幸せに過ごすために生きる。
生き死に に 向き合う現場は 介護職の 生きざま 信念 覚悟 が問われる。
生きることに寄り添う
このテーマに集まってきたスタッフ達
私にとっては奇跡
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