自分を知る旅

週末は、沼津の海まで往復25キロ位のサイクリングをした。

走るのはほぼ海に向かう川沿い。

川べりには菜の花が咲いていて、春を満喫^^


なぜ自転車なのか?

歩くより速く動けるのが楽しい((笑))荷物は荷台に乗せられるしね。

車よりも風景が見えるし、見たいものは立ち止まって見てられるし

道草出来るし、小道に恐れなく侵入していけるし。


何をするにしろ、自由が好きらしい。


自由が好きっていうのは、裏返してみれば、規制されるのが苦手。

中学校は制服も校則もなかったし、高校もそうだった。ピアスもパーマも

なんでも有りな学校で、制服を辞めたいって生徒がいったら辞められるような

そんな学校。


良かったなあ 運よく自由なところで生きられて。


でも心底そう自分を理解できるようになったのは、つい最近のこと。


私の親は非常に厳格だったので、自由というよりも箱の箱の箱の中

マトリーシュカの小っちゃな人形みたいな気分で生きていたから、自分が自由な人間だなんて思ってもみなかった。そして、そう仕向けられているのは、親の愛情だと心底疑わなかった。

結果、どうなっていたかというと、気分はマトリーシュカの小っちゃな人形なのに、実際は、

全くもって自由奔放に生きていた。勘違いも甚だしく周囲を混乱させていたことだろう(;'∀')


そんな私がなぜ本来の自分に気づいたかというと、

私を超える?自由さで直進する娘を産んだからに他ならない。

娘の問に答えようと 考えると 

一度はいわゆる親っぽいことを思いつくのだが、考えれば考えるほど、どっちでも良い気がしてしまい、結果、全肯定するしかなくなってしまう自分がいるわけだ。


自分に振り返れば、親が見せた生きる世界に全くもって背をむけて、

私が生きたい世界を生きて、本当に楽しく幸福だ。

でも、親は絶対に理解できないだろう ということもわかる。

そういう親が私のような娘を産んだら、そりゃあ社会に適合させようと必死になるだろう。

基本とても良い子だったが(本当だよ)何かきっとザワザワと不安だったろうね。

そう思うと、それはそれで大変だったのだろうなあ・・・。


娘はどうやらかなりアーティスト気質らしい。

アーティストって、絵とか音楽とかそういうのに秀でてるという単純なことではなく、

世界観を持っていることだと思う。


娘はその世界観を作り上げている途中なんだなあって思いながら、親として最低限言わなきゃ

いけない、マナーとかルールとか 頑張って伝えている。


娘の言動、全くもって理解できないことも多々ある日々。

娘に「私のことは絶対にママはわからない!」って言われて

「うん わからないよ でも春花だってママのことわかってないよ!」

って言ってみて

心のどこかで

私の方が単純だから、わかられてるかもなあ 

って思うけど、絶対もっと深みがあるんだって 表面でマウントとって頑張っている(笑)


誰だって誰かのことを完璧に理解するなんて有り得ないよね。

思春期ってそれを知っていく関門なのかもね。


そう、自分だって自分を理解するのって本当に難しいのに。

いや、自分が一番自分をわからないものだと思う。


人生は自分を知る旅だなって 思う。
























yogacafe  shizuku

yogacafe shizuku

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