頭と腹
前回に続くシリーズ (意味なくシリーズと言ってる)
サンスクリット語を学んでいたら、その独特の感覚に、
これがサンスクリット語を使う人たちの世界の見え方なんだ!って 驚いたけど、
日本語は日本人そのもの。
例えば 腹が立つ 腹が煮え繰り返る 腹に据えかねる とか
腹って多いよねえ・・・
勢い余って? 腹を切る までやっちゃうんだから!!
感情を表す時 身体を用いた表現になるでしょ
彼の言葉が胸に刺さった とかさ。
実際ね 身体に変化が起こるんだよね
言葉で胸が痛くなったり
胸が締め付けられる感じがしたり
お腹がギュウウってなったり
喉が詰まった感じになったり。
それは体の記憶として残る
頭の記憶って意外に書き換えられることは最近わかってきてよく言われていること。
自分の都合に合わせて微調整されるというか。
でも、体が記憶したことは、そう簡単には書き換えられない。
そして、消去も出来なかったりする。
ハラワタが煮え繰り返るような 憤り 怒り があっても
怒っちゃいけない! って 頭が司令を出すことがある。
怒らない理由をたくさんあげて、自分の体 怒っていることから気を逸らす。
人は大人になるにつれて、それができるようになって、上手になって
社会で生きていけるようになる。だから必要なスキルの1つなのは事実。
でも、気づいて欲しいのは、それは身体で湧き起こった自分の感情を無視しているということ。
上手にその感情を溜めずに流せる人もいる。
歌ったり、踊ったり 走ったり という身体的な動きだったり、
お笑いを見て大笑いしたり、映画を見て大泣きしたり。
好きな音楽や絵画の世界に自分を置いて、昇華させたり。
人によってはうまくそれが出来ない人もいる。
普段は出来ていても、大変なことが重なって出来なくなることもあったりする。
溜まった思いは
身体で存在をアピールし出す。
それが痛みだったり不快感だったり
不眠だったり 食欲の低下だったり・・・そして病気になったりすることもある。
さて、自分は今 どんな状態なんだろう。
私は今 どんななんだろう?
優しい気持ちで自分と向き合ってみるのも 時には必要。
体に記憶された感情は その感情に気づいて寄り添ってあげるだけで
大体のものは流されて昇華されていく
問題は、自分の感情に気づく勇気
そしてその感情を頭でジャッジしないこと。
溢れる頭での思考を止めて
腹から湧く感情 感覚を受け止める。
それが意外にとても難しい。
私は時々、自分を解放するために
何も考えずに色を使う。
絵を描く わけではなく、 ただただ何も考えずに色をガシガシ塗りつける。
ジャッジしない自分の時間 評価する される必要がない事
何も考えない時間
大人になると、こういう無駄な時間って なかなか無いもんだ。
誰かのために と動く思考を止めて
自分のために と腹で動く
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